特徴等 |
大覚寺は、平安初期、嵯峨天皇が檀林皇后とのご成婚の新室として建立された嵯峨院離宮を前身とし、貞観18年(876年)、嵯峨上皇の長女で淳和天皇の皇后であった正子内親王により、淳和天皇第2皇子の恒寂入道親王を開山として、大覚寺が開創された。明治時代初頭まで、代々天皇もしくは皇統の方が門跡
(住職) を務めた門跡寺院であり、「いけばな嵯峨御流」の総司所 (家元) でもある。 客殿(対面所)は桁行正面七間、背面八間、梁間四間、一重、入母屋造、檜皮葺の書院造の建物で、宸殿の左背後に棟を直交させて建ち、宸殿とは廊下で繋がっている。12の部屋をもち、上段の間は後宇多法皇が院政を執った部屋で、執務の際は御冠を傍らに置いたことから、「御冠の間」と呼ばれている。南北朝媾和会議が、ここで行われたと伝わる。 参考資料:大覚寺案内リーフレット(大覚寺)/国指定文化財等DB(文化庁) 2023-6-6 |
番号・名称 | 年 代 | 構造等 | |
455 大覚寺客殿 (対面所) |
桃山 (1573-1614) |
桁行正面七間、背面八間、梁間四間、一重、入母屋造、檜皮葺 |
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京都府の重要文化財建造物 2018-2-1 現在 |